shinboku

2022/10/21 19:03

shinbokuのディレクターの能登です。

今回より数回に分けてshinbokuの運営、製造会社である大榮木工の歴史についてお話をさせていただきます。
お付き合いのほど、よろしくお願いいたします!




「shinboku」製品をプロデュースしているのは、秋田県能代市にある建具メーカー、株式会社大榮木工です。
大榮木工の歴史は終戦直後の1947(昭和22)年にはじまります。
当時の日本は長い戦争を経て、国中が荒廃している時代でもありました。
外地にいた復員兵や引揚者が次々と帰国してきたものの、空襲を受けて焼け野原になった多くの都市では、家屋をなくし、「バラック」と呼ばれた仮小屋住まいを余儀なくされた人たちがたくさんいたのです。
家族が安心して暮らせる住居は、当時の人たちが切望してやまないものでした。
戦後復興が進むにつれ、日本全国で住宅需要が高まりつつあったのが、まさに終戦から2年後の1947年頃だったと言えるでしょう。

当時の能代市は、明治中期に設立した秋田木材株式会社を中心として、木材加工業が非常に発展していました。
かつて「東洋一の木都(もくと)」を呼ばれた歴史を持つこの街では、最盛期には人口の3分の1ほどが木材に関連する職業に就いていたとされるほど、木材関連業が充実していたのです。
大榮木工の創設者である能登栄一は、そういった時代の流れと街の主幹産業を背景に、自らも木材関連業に従事することを決意します。
当初は栄一の妻の実家の家業である小割屋(家具屋や建具屋に材料を提供する業者)として起業しましたが、小割の仕事はあくまでも半製品を扱う業種。
より大きな収益を得るために、起業から3年後には「建具屋」に業態変更をすることにしたのです。

「建具」と言われても、若い方々にはピンとこないかもしれませんね。
家と外とを仕切る扉(ドア、引き戸など)や室内で部屋を区切るための襖、障子、さらには窓や門扉、フェンスなど、建物と外部、または建物の内部を仕切るために開閉できる建築部品のことです。
どんな住宅にもドアや仕切りは必要不可欠なものであり、戦後の住宅復興の際にも大変多くの需要がありました。
当時の日本家屋には建具のみならず、あらゆるものに対して「規格寸法」というものがあり、その規格に沿った製品を使って住居が建てられていました。
創業者の栄一は、世界的にも評価の高い天然秋田杉を用い、その規格寸法に合った障子・襖などを製作、折からの住宅需要に乗って、毎月のように300〜400、ときには500本もの建具を東京の問屋に卸すようになったのです。
こうして大榮木工は、質の良い建具を製作するメーカーとして、堅実に売上を伸ばしていくようになりました。